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ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

インドの3K その3「けたたましい」

 

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 現時点でのインドの人口は、13億1100万人ほどらしい。中国のそれから6000万人ほど少ない程度だという。

 しかも、そのそれぞれが激烈なほどの自己主張をもって生きているとなると、この国がうるさくないわけがない(「けたたましい」といちいちいうのが面倒なので、「うるさい」と書く)。そして、それほどの自己主張をもってして生きなければならないほどの、いいようのない現実があるのだろう。詳しくはわからないが。

 大袈裟ではなく、本当に鳴り止むことのないクラクション、ブザー音、罵声、怒声。身動きの取れないような渋滞の中で、どけどけ! 邪魔だ! オレが通るんだ! という、己の主張。それが当たり前となっているとこに、国の違いを見せつけられた気がした。

 観光客目当ての物売りのしつこさ(売り物は名前も知らないわけのわからない物ばかりだ)。子供の物乞いの根気のよさ(とても可愛いのだけれど)。両者とも、ぼくがつれない態度を示しても、なん百メートルも付いてくる。根負けして物乞いに1ルピー渡すと、それを聞きつけた別の物乞いたちが群れをなして襲ってくる。彼らは諦めることを知らない。「うるさい」というのは、単に音量が大きいだけではなく、精神的にストレスを与えるような強烈な圧力がある。

 ストレスと書いたが、実はぼくはその手のうるささが嫌いではない。ただ、日本でその手のしつこい客引きや露店上人がいたらやはり嫌で、インド人たちが真面目な顔でそれをやっているというのが、なにか愛らしいというか、憎めないところがあるのだ。また、日本のような接客サービスに厳しい国では、店員の笑顔は当たり前のものとなっているだろうが、インド(を含めた、おそらくほとんどの外国)の店員は、無愛想などころか、買った商品を投げてよこすことだって珍しくない。そして、それも同じく、インド人にやられるのは嫌ではない。これがなぜなのかは自分でもよくわからないが、そういうことになっている。あるいは、ゆきずりの旅人だからそう思うのかもしれない。

 道ゆくインド人でこんな人もいた。

 彼はぼく目が合うなり、こんな風に話しかけてきた。

「君は教師か? え、違う? メガネをかけているから教師かと思ったよ。俺はこないだブータンに行ってきたんだ。知ってるか? ブータンはしあわせの国だ。国民一人一人がいかにしあわせに毎日を生きるかということを国家レベルで大事にしている。素晴らしいと思わないか? それに比べてこの国はどうだ? 金、カネ、かね……。金がものいう世界。オレはこれだけの金を持っている、オレはこれだけのビルを持っている、こんな素敵な生活を送っている……。馬鹿らしい! 実に馬鹿馬鹿しいと思わないか? ええ? ブータンは本当に素晴らしいぞ。ブータンは……」

 ということを、ぼくの話す暇も与えずにまくし立ててきた。ぼくはそれに対してなにを言おうか考えていると、それを待たずに、

「この話の続きはあそこのカフェでしよう。時間はあるだろ? なあ、いいだろ?」

 と同じテンションで言ってくるので、ぼくは怖くなって逃げた。

 そんな出来事が当たり前のように起きるのだと知って、そのとき、ああ、旅をしているんだ、と実感がわいたような気がした。

 そして、こんな風に生きててもいいんだ、と楽な気持ちになれた。そんな気持ちが、今では思い出せる。