ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

東北旅ショートノベル「6日目:岩手の人とカッパと(3)」

 
第1回
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第2回
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(承前)
 随分長いこと水の中を流されていたと思う。たぶん、人間が普通に息を止めていられる時間を遠に超えていただろう。そのせいで、僕は意識を失ったような気がする。といいながら、今はこうして大きな川のほとりに立っている。随分大きな川だ。幅150メートルはあるだろう。僕はその河原に立っている。いや、服が濡れていないことを考えると、川の中を流されたのは記憶違いだろうか。
「んにゃ。そうでもねぇ」
 後ろから声がした。カッパの声だ。振り返ると、僕が遠野で会ったのと同じ(と思われる)カッパが立っていた。
「あんたさんは間違いなく、川さ流されてここさ来た。しかしそれは時間の川だ。まぁあくまで時間というのは人間の世界での言葉だがな」
「ここは?」
「平泉さ。このでけぇ川が北上川
北上川……」
「岩手と宮城さ流れる川だ。このへんが平泉て呼ばれてる」
「本当に平泉まで来たんでねすね」
「んだ。平泉さ案内するて言ったろ?」
 僕は「ええ」と了承して、カッパの案内を乞うことにした。
「したらば、行ぐべ」
 カッパはそう言って、すたすたと川を背にして歩き出した。僕に有無をいわさず、前だけを向いて無言で歩いている。
 途中、雑草の生い茂った急な山道を登ったり、歩きづらい石畳を歩いたりして、30分ほど経ったころだろうか、僕は妙な心地になっていることに気がついた。風景があまりに遠野とは違いすぎるような気がするのだ。遠野は農村で、平泉は史跡を巡る観光地で、両者は全然別なのは知っているが、これは同じ県なのかというくらいに違う。道行く人や空気そのものが違う気もするし、うまくいえないが、ここは本当に平泉なのかさえ疑ってしまいそうになる。いや、カッパに川に引きずり込まれて平泉に来たということからして疑うべきなのだが、そこはもう信じるしかないと、僕は開き直りかけていた。ただ、僕がテレビなどで知っていた平泉の風景と、妙な齟齬があるように感じる。しかし、なにがそうさせているのか、僕はうまく突き止められずにいた。カッパが歩を止めたと思ったら、口を開いた。
「だから言ったろう。時間の川さ流れてきたって」
「はあ……」
「勘の鈍いやつだなぁ。オラが平泉さ案内するって言ったら、平泉の現役時代さ案内するに決まってっだろう」
「現役時代?」
 カッパは「んだ」とぶっきらぼうに言う。
「つまり、その……、ここは平泉で、時代が……」
 僕が言いよどんでいると、
「西暦でいったら12世紀後半だな。だいたい」
「つまり、その時代にやってきたってこと……?」
「んだ。時間の川さ流れてきたってこと」
 確かに歴史ある街とはいいながら、いくらなんでもその時代らしくし過ぎだとは思っていた。建ち並ぶ露店は質素だし、道行く人も古いボロを着たりしている。肌も汚い。考えてみれば電線もないし、道も舗装されていない。自動車も走っていない。一切現代的な風情がない。もっと今風の建築や人工物などあってもよさそうなものだが、僕は平泉の歴史的な風景を守るために皆そうしているのだとばかり思っていた。本当に現役時代の平泉に来たのだろうか。
 僕が不思議な顔でいると、カッパは「ほら、また登っぞ」と言って話を打ち切った。
 彼が顎で指した方向にはまた小高い山があった。静謐な雰囲気が漂い、人を遠ざけるようにして、やや急な斜面が伸びている。
「ここは……」
 僕が言うと、
中尊寺だ。あんたさんも知ってっだろう」
 もちろん知っている。自分で選んで平泉に観光に来たのだから、中尊寺を知らないわけがない。ただ僕は名前だけ知っているだけだ。ガイドブックによれば、12世紀初頭に、奥州藤原氏の初代・清衡が建てた寺で、世界遺産の一つになっているとのことだ。奥州藤原氏とは、清衡・基衡・秀衡と三代にわたってこの地に栄華を誇った一族であることは高校の日本史の授業で習った。となると、カッパの話を信じれば今は12世紀後半なのだから、僕たちが今から向かっているのは、できて間もない中尊寺になる。僕はいまいち実感がわかなかった。
 カッパがまたすたすたと歩き始めたので、僕はついていく。
 思っていたよりも急な斜面だ。階段になっていてもいいくらいだが、そのような人工物はなく、僕はぜえぜえ言いながら登っていた。対してカッパは楽そうだ。
「これが月見坂ってえんだ」
「そうなんですか」
「登った先の東屋なんかで月見をしてるんだろうな、貴族たちは」
 僕は「いいですね」と言いながら、その東屋で早く休みたいと思っていた。
 さらに数分登ると、確かに東屋があったが、カッパはそれを無視してそのまま登り続けた。僕はなにも言う気になれずにいたが、すぐに本堂のようなものが見えてきた。
「本堂だな」
 カッパはあまり興味なさそうに言って、そのまま通り過ぎようとした。僕は、
「え、お参りは?」
 と顔を上げると、その先に、きらりと光るものが見えた気がした。木陰の間に垣間見える、黄金の光だった。
 
(つづく)